祭り

2014夏祭り:初めて外から見た祭り

今年の7月14日も,いつものように「茨木神社の夏祭り」であった。

ただし,今年は義祖母が7月初めに亡くなったので,忌中30日間神社に入れなくなったため,7月6日の太鼓の稽古が始まる直前に夏祭りから離脱せざるを得なくなり,2003年から夏祭りの渡御に参加して初めて,外から見る夏祭りとなった。

もともと夏休みを取っていたので,渡御への参加不参加に関わらず予定どおり休みを取得し,朝早くから自治会のテント設営のお手伝いに行き,その後渡御が始まると,外からの声援兼カメラマンとしての写真撮影で,ほぼ一日渡御全体を見物させてもらった。

外から見る夏祭りは,気持ちの面では比べるまでもなく楽であったが,目の前で仲間が頑張っている中で,小生自身は参加できないという一抹の淋しさもあったかもしれない。

しかし,初めて祭り全体を外から見ることにより,いい面も悪い面もいろいろと目に焼き付けることができ,小生にとってはとてもいい経験ができたのではないかと思っている。

今回の経験が具体的にどう生かせるのかはわからないが,今回外から見た渡御を振り返りながら,ぜひまた来年以降の夏祭りに参加していきたいと思う。

渡御に参加したみんなには,お疲れさまと言いたい。

★ 当日の各神輿の様子は,こちら(茨木神社の夏祭り2014)

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2014年夏祭り:巡行列(左)と巡幸列(右)

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2014夏祭りの準備が始まる

先週の土曜日に茨木神社で奉仕者会が開かれ,役務発表があり,小生は今年も巡幸列枕太鼓の木方として参加することになった。

今年は仕事が忙しいため,太鼓の木方はできないとお願いしていたのだが,極端な人手不足を理由に希望は却下された。

祭りは毎年行われるが,あくまでもボランティアであり,けして無理をするものではないと思っている。
仕事の忙しい年は,ある程度の考慮をしてほしいと思うのはけしてわがままなことではないと思う。

太鼓の木方は巡行列,巡幸列をあわせて4人いるから,太鼓の稽古に出ずとも,ほかの木方と助け合いながらやれるかというと,そんなに簡単なものではない。

他の3人に対する後ろめたさもあるし,稽古に出ないことには,何よりも乗子との距離が埋まらない

祭り本番の当日の一日を一緒に過ごすために,6日間の稽古があるのだ。

今年は,自分の立ち位置を確かめることのできない夏祭りになりそうで,自分に自信が持てない夏祭りになりそうで,自分自身が心配だ…。

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2013巡幸列枕太鼓 木方ノート

■ 2013夏祭りを振り返って

朝6時に起床。朝風呂にゆっくりと浸かって体を目覚めさせ,まずは衣装の準備にかかる。
前日のうちに鉢巻きと足くくりはアイロンがけまで終えていたので,早速いちばん時間のかかるサラシを巻く。これも前日に一度練習しておいたので,特に問題なくきれいに巻くことができた。ただ,小生の腰痛にどれほどの効き目があるのかが正直よくわからない。いつも腰に巻いている腰痛ベルトのほうがよいのか,一度検証しなければならないと思っている。
サラシを巻いた後は,浴衣を羽織り,同じく前日にアイロン掛けした帯を巻き,家内に頼んで浴衣の裾上げと帯止め,そして両肩の浴衣の肩止めを安全ピンと糸でしばってもらう。
ここまで終わったところで,ちょうどI君がサラシを巻いてくれと自宅を訪れたので,いったん小休止して,彼のサラシを巻き,鉢巻きと足くくりの説明をする。昨年は3人分のサラシを巻いたが,今年は1人なので,これはすぐに終わった。
それから,自転車に乗って神社へ太鼓と枕を台車に上げに行く。
神社はひっそりと静まり返っていたが,巡行列と巡幸列の太鼓を乗せ,棒洗いの時に自分たちできれいに巻いた枕を台車に乗せる。
作業が終わって,すぐに自宅へ取って返す。急いで朝食を済ませ,出発の支度をする。
体はどうしようもなく疲れているが,体調は悪くないようで,とりあえずホッとする。
団扇,笛,鉢巻きを身に着けて,忘れ物がないかチェックし,最後に足袋を履いて,脚絆を上から付け,最後に足くくりを付ける。
上中条1丁目自治会の休憩所に着いたのは,集合時刻ギリギリだったが,皆で記念写真を撮って出発した。今年は6年生が一人もおらず淋しいが,上一子ども会に6年生がいないということらしいので,5年生に頑張ってもらうしかあるまい。
人工台地には,既にかなりの人数が集まっていた。小生は太鼓の乗子を連れて,市民会館の1階ロビーに入る。ここは冷房が利いた快適な空間である。
乗子たちは法被の子どもたちと違って,厚手の浴衣や帯を巻き,化粧もしているため,特別待遇である。
ただ,このような特別待遇はここ数年のことではないかと思う。
というのも,小生の息子たちは2人とも乗子をさせてもらったが,人工台地で他の子どもたちと同じように炎天下で並んでいたように記憶しているので,間違いないと思う。
まあ,こういった対応も時代の流れだろう。

■ 宮入~出立ち~とり粂

巡行列の太鼓,女性神輿,一の輿,二の輿が出たところで,かなり間が空き,それからようやく三の輿が出てきたが,その後またずいぶんと間が空いて,女子中学生神輿の2車と新調された男子中学生神輿が出立ちした後,ようやく我々巡幸列の乗子たちが宮入バチの隊形で宮入していく。
本殿に上がり,巡幸列全員が揃ったところで,茨木神社の宮司さんによるお祓いが始まる。
小生は,巡幸列2年目であるが,茨木神社の夏祭りにおける2つの神輿部隊である巡行列と巡幸列は,全く異なる隊列である。
うまい言葉が見つからないが,敢えて言えば「動」と「静」と表現すれば良いだろうか。全く勝手な判断だが,「動」の巡行列と「静」の巡幸列という表現が合っているかもしれない。
巡幸列の神輿には茨木神社の氏神様が乗る。
そして,大神輿の前を行く枕太鼓は,常に大神輿を迎えるためのふれ太鼓である。
休憩所では,大神輿が到着するまで,乗子たちがお迎え太鼓をたたき続ける。そんな形ができあがっている。
お祓いが終わり,棒鼻が台車を玉垣の下まで運んでくると,いよいよ出立ちである。
まず1班の乗子たちが太鼓の台車に乗り,木方の「打ち込み用意」の掛け声に合わせ,太鼓をたたき出す。
ゆっくりと2度の「ヨイヤマッカッショー」の後,「祝いましょう」で台車が動き出す。
玉垣の下で担き手は肩を入れ,神輿の棒鼻さんたちにも手伝ってもらって,台車は玉垣を上がり,車道に出る。
ここで,お迎え太鼓が始まる。その間に,神輿は参道を1度半行き来してから玉垣を上がるのだが,玉垣を上がるタイミングを見計らって,駅前通りを台車と神輿が対になって進んでいく。
巡幸列は太鼓と神輿は一体ものなので,できるだけ離れず,かと言ってくっつぎ過ぎることなく,神輿の前を行く引き合いさんと合図を交わしながら,タイミングの難しい渡御である。
商店街に入ると,ギャラリーが一気に増えることから,ここぞとばかりに大きな声を出して太鼓は進む。何度か「祝いましょう」をしながら,最初の休憩所である片桐(とり粂)に到着。
乗子たちにしっかりと挨拶をさせてから休憩する。
特に去年は,何度か挨拶がないと叱られた苦い経験があるだけに,班長には口を酸っぱくして挨拶する意識を植え付けた。

■ とり粂~産経~本町

とり粂の出発は,大神輿が近づいてくるのを待って,それまでお迎え太鼓をすることとなっていたのであったが,引き合いさんが出発の合図を出したので,出発してしまった。ところが,後で聞くと,本来大神輿は,一度とり粂から「肩しょーかえ」で商店街に戻っていくそうで,太鼓がいなかったため,戻るのをやめたと聞いた。
そうとは知らず,勉強不足であった。
産経以降,大神輿と同じ休憩所で休憩する際には,必ず神輿の脚が入るまで太鼓はたたき続け,出発も早め早めにたたき始めた。「打ち込み用意」ですぐに「祝いましょう」で出発する場面もあり,去年の渡御に比べると,かなり大神輿を意識したものとなった。
商店街から本町へ行く時も,太鼓はしばらく止まって,大神輿が「肩しょーかえ」するまで待って,それから出発。本町の出発も,さわらぎ屋を出る大神輿からの合図があって出発した。

■ 本町~上中条2丁目~上中条1丁目

本町から上中条は,距離が長い割にはギャラリーが本当に少なく,盛り上がりという点では難しい区間である。「祝いましょう」の場所も少なく,太鼓も神輿も淡々と進むしかない。
上一の休憩所では,家内をはじめ数多くの近所の人たちがねぎらいの言葉をかけてくれたが,このような夏祭りへの参加も,果たしていつまで続くのであろうか。
毎年,今年で最後かもしれないと思う自分がいるのである。
ところで,上一の休憩所では,思わぬハプニングが起きた。それまで太鼓の棒鼻をやっていたSさんが熱中症で気分が悪くなり,渡御を続行することが不可能となったのである。小生も長く祭りに携わるが,棒鼻のリタイヤを見たのは初めてであった。
いったい,この先どうするのだろうかと思ったのだが,瞬時にNさんが代わりをYさんにやるよう指示を出し,何事もなかったかのように太鼓は出発することとなった。

■ 上中条1丁目~上泉町

上泉町では,小生がうっかりミスを犯し,健康面で乗子たちを危険な目に遭わせるところであった。というのは,休憩所に入りながら,乗子たちを先に休ませることを忘れてしまい,休憩所を過ぎて途中まで,太鼓の後ろをそのまま歩かせてしまったのである。
途中でようやくそれに気づいて,世話方さんに休憩所へ連れて行ってもらうことにしたのだが,木方2年目とあろうものが大失敗だった。だが,それだけにとどまらず,上泉町の休憩所では,昼食だというのに,しばらくの間乗子たちのそばに付くことを忘れており,責任者からどえらくお叱りを受けた。
こんなことをやっているようでは,全く木方失格である。
祭り当日はやること,気遣いすることが多く,忙しいのは事実であるが,いろんなところに気をつけなければならないのが太鼓の木方の役目なのである。本当にしんどい役務だ。

■ 上泉町~永代町

上泉町を出た巡幸列は大住町から宮元町,竹橋町と進み,竹橋町では去年と同じように,「肩しょーかえ」で休憩所に入り,神輿の場所を空けるために,肩入れで台車を横移動させた。出発の時も,やはり担き手に肩を入れさせて,横に動かしてからの出発となった。
永代町は,阪急茨木市駅前のギャラリーが非常に多い場所であるが,今年は天候が悪くなってきたことから,屋根の下に太鼓を入れて,乗子たちにたたかせたため,烏帽子が屋根につっかえて,太鼓が打ちにくそうであった。
この頃から急激に天候が怪しくなり始め,空は暗くなって雨も降り出し,雷までゴロゴロと鳴り出したので,休憩所でしばらくの間様子を見ることになった。
結局,1時間半ぐらい待機しただろうか。最後は,責任者と木方が集まり,多少の雨はあるだろうが,渡御を続けることとなったが,既にこの時点で2時間近く予定より遅れるという,前代未聞の夏祭りとなっていた。

■ 永代町~主原町~新庄町

途中で何度か雨が来たので,乗子にはカッパを着せたり脱がせたりしながら,とりあえず新庄町まで渡御を進めたが,ここでは2時間も足止めされていた巡行列の部隊がまだ休憩しており,茨木高校の中はすべての神輿が揃う,これまで例のない状況となった。
ここでまた,責任者が集まって,大幅に遅れてはいるものの,予定どおりのコースで,予定どおりの渡御をして,宮入することが決定された。
ただし,その判断が本当に正しかったのかどうか。結果論から言えば,全員が深夜までかかって宮入できたのであるが,あくまでもいろんな代償を払っての結果ではなかっただろうかと思っている。

■ 新庄町~宮入まで

長い時間休憩した後,改めて渡御がスタートすることになったが,カッパを着ていた乗子と違って,走りの子どもたちは既にずぶ濡れ状態になっていたため,寒いと言い出す子が何人もいた。
急遽神社から着替えの法被を取り寄せたものの,本来乗子だけでなく,同じ子ども部隊である走りの子どもたちに対するフォローが何らか必要なのではないだろうか。行き当たりばったりではなく,率直にそう感じた。
そして,時間が相当遅れていたことから,その後の各休憩所では,一つとして休憩時間がまともにとってもらえず,子どもたちはトイレを含め,飲み食いさえもまともにできなかった。
乗子や走りには女の子も多いので,せめて休憩所ではもう少し時間をとってやるべきだと思う。せっかく楽しみにしていた小川町のおでんなど,せめてもう少し時間を与えて食べさせてやれなかったのだろうか。
本当に,果たしてここまで犠牲を払って通常の渡御のコースで宮入することが必要だったのだろうか。今回の判断には大いに疑問を持つこととなった。
休憩所では,お世話になった方たちに対しても,飲み食いもせずに出発して本当に失礼ではなかったかと悔いが残った。
いずれにしても,神社に戻ってきての宮入時刻は午後10時をとっくに回っていた。
神社の参道は既に相当に人が少なくなっており,例年に比べれば,安心して参道を渡御できる状況ではあったが,夜も更けて遅い時間帯だったことから,太鼓は裏木方である小生の判断で,参道では3度半の渡御に止めて,少しでも乗子の子どもたちの負担を軽くしたつもりだ。できれば,例年のように7度半の往復をしたかったところだが,3度半は正しい判断だったと思っている。

■ 上一自治会の打ち上げ

去年までは打ち上げなど一切なかったが,今年は初めて上中条1丁目自治会として,夏祭りの打ち上げが行われた。
ただ,それでなくとも午後9時以降の遅い時間帯になるところが,今年に限っては宮入時刻が11時前になったことから,打ち上げの場所に到着したのが深夜11時半を回ろうとする時刻だった。上一の役員さんは,さぞヤキモキしていたことだろうと考えると,たいへん申し訳ない気がした。
夜も更けていたことから,打ち上げは1時間弱という短い時間ではあったが,自治会役員さんたちの温かい気持ちに感謝である。
その後,衣装を着替えて,奉仕者だけで二次会へと繰り出し,帰宅したのは真夜中の2時半になっていた。
とにもかくにも,太鼓の木方として3年目の本当に長い長い夏祭りの一日がようやく終わった。

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2013過酷な夏祭りを終えて

7月14日,今年の茨木神社の夏祭りも何とか無事に?終えることができた。

一応終えることはできたのであるが,それにしても,今年の夏祭りは体力的に過酷な祭りとなった

何と言っても,宮入が夜10時をとっくに過ぎてからであった。

昼過ぎの雷雨のため,渡御の途中で約2時間の様子見があったことによるものであるが,最終的に宮入まで順路を変えずに行こうと判断したことが本当に正しかったのかどうかである。

結果だけをみれば,無事に子どもたちと一緒に帰って来れたのだが,それは単なる結果論であり,小生自身はこの判断が正しかったということにはつながらないと感じている。

加えて,小生自身にとって,今年の祭りが本当に体力の限界を感じたことは紛れもない事実であり,もうこのような祭りは二度とできないと痛感した,本当に過酷な夏祭りであった。

とりあえず,自分の体には「お疲れさま」と言いたい。

来年の夏祭りは,果たしてどうなるのか。
全く自信がない…(笑)

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夏祭りの準備の疲れ

7月6日(土曜日)から,夏祭りに向けた太鼓の稽古が始まった。

今週は,毎晩6時から8時半まで,今年の乗子に選ばれた子どもたちの太鼓の稽古である。
神社が近づけば,太鼓の音と子どもたちのかけ声が聞こえてくる。

梅雨明けした途端,急激に暑くなり,自分の体調管理が難しくなってきた。

太鼓の稽古の後は,直会,打ち上げと続き,毎晩帰宅が深夜となることから,睡眠時間がせいぜい4~5時間というところなので,疲れが毎日累積していく。

毎年繰り返す体力勝負の夏祭りなのであるが,今年も何とか夏祭りを頑張りたいと思う。

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茨木神社の「一日詣り」

2013年もちょうど半分が過ぎ,早くも7月に突入した。

一向に右肩回りの筋肉と関節が柔らかくならないため,未だに右肩は水平(90度)から上には上がらない状態が続いている。
特に右肩内側の筋肉の柔軟性がなく,どう頑張っても進展が見られないというのがつらい

それでも,7月が始まったということで,今年も祭り月がやってきた。

そんな中,月曜日は朝6時からの「一日詣り」に初めて参加した。

早朝にもかかわらず,既に石門会の面々が数多く集まっていた。

6時前,茨木神社の岡市宮司さんによるお祓いが始まり,15分ほどで終了したが,いよいよ夏祭りが近づいてきたことを感じることができた一日詣りあった。

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今年の特異性

今日は6月29日ということで,この時期になると例年,小生は「茨木神社の夏祭り」モードに切り替わる。

ところが,今年はそれどころではないというのが現状である。

夏祭りモードになれない第一の原因は,仕事がどうしようもなく忙しいのである。
毎週毎週,やっとのことで乗り切っているというのが正直なところで,現場の数が山ほどあるのに加え,非常に困難な仕事が多い。

仕事をこなす能力が不足しているといわれればそれまでだが,自分としては一生懸命やっているつもりである。
それでも,とにかく時間が足りない。

加えて,今年は骨折した右肩が完治していないので,リハビリにも通う必要があり,最近はろくに病院に行けていないが,それでも時間的にはかなり忙しい毎日なのである。

しかし,夏祭りでは,去年に引き続き今年も,巡幸列の太鼓の木方を命じられており,来週からはいよいよ乗子たちの太鼓の稽古が始まる。

そして,7月6日からの稽古が始まれば,あとは棒洗い,ふれ太鼓,本祭り,御宴祭りと7月15日まで一気に駆け抜けてしまうのである。

果たして,何とかぎりぎりでやっている仕事をしながら,体力にも不安を抱えている小生にとって,夏祭りを無事にこなしていけるのであろうか…。

今年は,そんな特異性のある状況の中,精神的プレッシャーと身体的プレッシャーの両方を抱えつつ,やっぱり一生懸命やるしかないのである。

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2011茨木神社の夏祭り 総決算

今年も「茨木神社の夏祭り」が行われ,小生にとっては計9回目,石門会の一員として8回目の参加となった。

 

去年の祭りは土砂降りのために途中の上泉町までで中止となったが,今年は一転して「高温注意報」が出るほどの天気となった。予想していたとおりになったとはいえ,正直なところ嬉しくない状態での渡御となった。

 

■何回経験しても高ぶる気持ち

 

祭りの前日は早めに布団に入ったものの,渡御のことを考えるとどうしても目がさえて眠れなかった。子供神輿の木方は今年で4年目だというのに,未だに緊張して眠れないとは,何とも肝っ玉の小さな話であるが,こればっかりは何とも仕方あるまい。

 

結局,眠れたのは午前1時過ぎだったかと思うのだが,それにもかかわらず早朝目覚めたのが午前5時過ぎである。こんなことで大丈夫かと我ながら心配になるが,気持ちは高ぶるばかりであるから,どうしようもない。

 

■祭り当日の新たな仕事

 

そして,今年の夏祭りでは,当日の新たな仕事が一つ増えた。

 

その仕事というのは,上中条1丁目自治会長のIさんが大神輿の担ぎ手として出てくれることになったのだが,Iさんの衣装係を担当することになったことである。これまで9年も夏祭りに参加してきたが,他人のサラシを巻くというのは初めての経験だった。

 

自分の準備を終えた後,午前8時にIさんの自宅へ伺い,サラシを巻かせてもらった。

渡御が終わった後にIさんに聞いたところ,特に問題はなかったとのことだったので,やれやれである。

 

■渡御を振り返って

 

今年で4回目の子供神輿の木方であったが,やはりすべてが満足に終わったというわけにはいかなかった。

 

その中でも,最も悔いが残るのは,子どもたち全員で神社に戻ってこれなかったことだ。午後のいちばんしんどい時間帯のことであったが,2班で頑張っていた5年生の女の子1人の様子がおかしいことに気づいた(具体的には顔が真っ赤になってきていたので熱中症になりかかっていると思った)ので,木方としての小生の判断で,子ども会のお母さんを通じてその子の保護者を呼んでもらい,とりあえず自宅へ帰す処置をとらせてもらった。

 

その子自身は,「まだ頑張れる」「神輿から離れたくない」と泣き出した。その場では本当につらい判断だったのだが,実際かんかん照りで非常に暑く,まだ渡御も先が長いことから,子どもに万一のことがあれば取り返しがつかないので,つらいけれども休ませることにした。

 

結局,この子は神輿に戻ることなく夏祭りが終わってしまったのだが,次の日に子ども会のお母さんから,元気に学校へ登校したこと,祭りは楽しかったと話していたことを聞いて,少し救われた気がした。

 

しかし,それにしても,今年の渡御では中盤から後半にかけて,休憩所での休憩時間がほとんど与えられず,巡行列の最後を行く小生の子供神輿「三の輿」にはきわめて過酷な状況であった。

 

休憩所に着いても,既に休憩所は他の神輿の子どもたちであふれており,その順番を待っている間に時間が過ぎ,結局ろくに飲み物をとれないままに出発の指令が伝えられるという繰り返しだった。

先頭の太鼓と最後尾の神輿とでは,かなり距離の開きがあり,自ずから休憩所の到着時刻にもかなり差が出るのだ。

 

スケジュールを守って渡御することと子どもたちの安全を守ってやることはとても天秤にかけられる話ではないはずなので,いつも木方は悩まなければならないのだ。責任重大な厳しい仕事だ。

 

夕刻,中条小学校の前には先生方が多く詰めかけてくださったおかげで,子どもたちは俄然元気になり,楽しんでパフォーマンスもしてくれた。

そして,JR茨木駅前に着いた時には,少し涼しくなって神輿の子どもたちも元気になり,気分は最高潮に達しかけていた。

 

ここで,子どもたちみんなを集めて,宮入は6年生だけで行うこと,その代わりに駅前通の観客が多い見せ場は5年生だけで神輿を担ぐことを伝え,今年の三の輿もいよいよこれが最後の渡御になることを説明し,気合いを入れた。

 

今年は,1班・2班とも班長に選ばれた6年生の子どもたちはずいぶんしっかりとやってくれたと思うのだが,最後に来てまたしっかりと班員を集めて子ども同士で声をかけ,提灯と脚持ちを自分たちで決め,宮入を迎える準備をしてくれた。

なんて頼もしい子どもたちだろうと,つくづく感心した。

ちょっとだけかもしれないが,祭りを通じて子どもたちが成長してくれたとしたら,心からうれしく思う。

 

子どもたちは,それまで以上に大きな声を出して駅前通を元気よく進み,市民会館前で5年生と6年生が交代し,宮入へと続いた。

ここ近年は,毎年夏祭りに訪れる人が増えているような気がするのであるが,今年も神社の入口から参道は,人であふれかえっていた。そこを子供神輿は人をかき分けて進むのである。

 

子どもたちの安全に細心の注意を払いながら,参道を1度半渡御し,いつものように境内で「抱いて舞」「祝いましょー」。

今年の三の輿の渡御が無事に終わった瞬間であった。

 

6年生と世話方さんで市民会館前に戻り,待っていた5年生と合流したが,ここでも静かに座って待っていてくれた5年生に感心させられた。

ふざけもせずに,なんていい子どもたちなんだと思った。

 

47名の子どもたちを集め,今日一日本当によく頑張ってくれたことに感謝し,労をねぎらい,ぜひみんなに来年も祭りに参加してほしいと話をした。

最後に,ご父兄方に感謝を述べ,記念撮影と万歳三唱で幕を閉じた。

 

渡御の前に考えていたことがすべてできたかといわれると,非常に心許ないこともあるが,最も心残りとなった1人が結局最後まで神輿に戻れなかったということを除けば,何はともあれ無事に子どもたちと帰って来れらたことにはホッとしている。

 

しかし,毎年このような厳しい環境で神輿の世話を続けられるかどうかと問われると,それはわからないとしか答えられない。

毎年,どのように用意周到に準備をしていても,いつもぎりぎりのところでしのいでいるのが正直なところであり,全く自信というものがない。

 

来年は果たして,自分にとってどんな夏祭りになるのかわからないが,今年の祭りを忘れずに頭に焼き付けて,こうして自分の気持ちを記録に残しておきたいと思う。

 

2011年の「茨木神社の夏祭り」が終わった。

 

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いよいよ梅雨明け

今日,気象庁から近畿地方の梅雨明けが発表された。

今年は梅雨入りも早かったが,心配したとおり梅雨明けも早かった。昨日までは,来週ずっと天気がはっきりしない予報だったのが,いきなり梅雨明けには驚いた。

明日と明後日が夏祭りの子供神輿の練習日になっているのであるが,梅雨明けで急に暑くなったところに夏祭りということで,子どもたちの体調がかなり心配だ。
去年の夏祭りが途中で中止になっているので,何とか全員で宮入ができるよう,子どもたちをうまくリードしてやりたいと思うが,まずは明日の練習である。

小生自身の体調や忙しさ具合を考えると,今年の夏祭りは相当気合いを入れてかからないといけないという危機感いっぱいの祭りになりそうである

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2010年 茨木神社の夏祭り

何と今年になって初めて書く。

今年は,連日最高気温が36℃以上,夜も27℃という猛烈な暑さで,全国的にも非常に厳しい暑さである。
しかし,よく考えてみると,梅雨明け前までは,気温が低くて雨ばかりだったことを思い出す。

そんな中で,今年も7月14日に「茨木神社の夏祭り」が行われたが,3年ぶりに雨にたたられて,途中で中止という残念な結果になってしまった。

祭りが終わって1ヶ月以上も経ったわけだが,茨木神社の夏祭りのホームページが完成した。

★「石門会:茨木神社の夏祭り」ホームページ

 http://osaka.cool.ne.jp/ibaraki-matsuri/

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