皇太神社・主原神社・多賀神社・天満宮正遷宮祭
去る12月19日に,「皇太神社・主原神社・多賀神社・天満宮正遷宮祭」が茨木神社で行われた。
昨年秋の「天石門別(あまのいわとわけ)神社御鎮座1200年記念大祭」に続いてのビックイベントである。
遷宮祭については,まったく何も聞かされていなかったが,2週間ほど前になって連絡があり,よくわからないままに14日(日)夕方にリハーサルがあった。
そして,リハーサルの前に,神社の参集殿で神社の担当者から説明があったのだが,このときに初めて自分の役割と内容について聞かされた。
今回の小生の役割は,6名の石門会会員による「絹垣所役(きぬかきしょやく)」ということであった。
はて,「絹垣」とは,いったい何であろうか…。
当初は,受付か何か神官さんのお手伝いだとばかり考えていたのであるが,「絹垣所役」というのは実はすごく重要な役回りであり,皇太神社(上中条村の氏神)・主原神社・多賀神社(下中条村の氏神)・天満宮の計6体の御神体を仮殿から本殿に移すために(つまり遷宮のために),「絹垣」という棒に白い布を巻き付けた覆いで,御神体を乗せた輿を人目から見えなくするという仕事であった。
説明を受けた後のリハーサルでは,何度も神官さんと一緒に手順を試行してみたものの,いろいろな専門用語?が飛び交う中で,とてもすべてを覚えられるものではなく,これはとんでもない役を引き受けてしまったものだと,正直いって後悔した。
「絹垣」という役割がたいへんなだけでなく,冬の寒い中で上着を着ることが許されず,約2時間は寒風の中でご奉仕しなければならず,略礼服の下に着衣する防寒対策を真剣に考えなければならなくなった。
とにかく,2時間ほどかかったリハーサルが終わったときには,体が凍えていた…。
そして,迎えた本番の遷宮祭。
午後5時過ぎに集合して,再度リハーサルを行った。神社の神官さんでさえ初めてだということなのだから,ましてや我々にはリハーサルなしでは,とても自信がなかった。
何度も繰り返し,いろいろな場面で自分の動きや手順を確認しながら,本番前のリハーサルを終了し,あとは何とかなるだろうという気持ちで臨むしかなかった。
本番は,午後6時半にスタンバイ。礼服の上に,白い半被を着用し,手袋とマスクを持つ。手水で清めた後,儀式殿前に列立したが,さすがに最初は緊張で足が震えた。
学生時代に,体育祭のリレーでスタートを待っているあの緊張感に似た感覚である。
そして,午後7時前にいよいよ式典が始まった。
神社の宮司さんを先頭に,神官さん,我々「絹垣所役」が参進する。
多くの参列者が見守る中,ゆっくりと足を進め,所定の位置について,まず「祓所(はらいど)」という儀式である。
ここで,お祓いを受け,次に本殿に向かうのである。
「祓所」が終わると,また同じ順番で参列者の前を参進し,本殿前に進む。
次は,もっとも緊張する「仮殿(かりどの)」と呼ばれる儀式である。
宮司一拝と祝詞奏上の後,我々「絹垣所役」は手袋とマスクを付けて,いよいよ「遷御」である。
ご神体の乗った輿が参列者から見えないように,小生たちの「絹垣」で覆い,篝火だけの真っ暗な闇の中を,6人で作った「絹垣」は玉垣をゆっくりと下り,新しい社殿の前まで移動した。
もっとも緊張する仕事が終わり,あとは「4社」という儀式を残すのみとなった。
「4社」は,4つの神社を入御する,つまりそれぞれの神社のご神体を新しい社に運び入れる儀式である。
皇太神社,天満宮,主原神社,多賀神社の順に入御するのだが,このうち小生の関係する旧上中条村の氏神である皇太神社の社殿は,昭和59年に上中条氏子の篤志にて造営され,年数も浅いことから,今回は若干の修復を施して,この新しい場所に移築・奉遷したということだ。
ほかの3つの神社については,新しく営造した社殿にご神体を移すことになったのである。
「4社」の儀式の間,我々は「絹垣」でご神体を覆ったままの状態を保たねばならないため,身動きできずにいたが,神官さんたちによって4社の計6体の遷宮が終わり,何とか無事に役割を完了することができた。
遷宮祭は午後9時頃までかかったが,ようやく我々は長い緊張感から解放された。
夏祭りと違って勝手がまるでわからなかったため,久しぶりの緊張感を体験することとなった。
しかし,昨年の1200年記念大祭といい,今回の遷宮祭といい,少なくとも小生たちの生きている間に二度と開催されることはなく,本当に貴重な体験をしたものだと思う。
それを考えると,悠久の時の流れの中では,我々の人生なんて,時間的には本当に短いものだと,改めて思わされるのである…。
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