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2013巡幸列枕太鼓 木方ノート

■ 2013夏祭りを振り返って

朝6時に起床。朝風呂にゆっくりと浸かって体を目覚めさせ,まずは衣装の準備にかかる。
前日のうちに鉢巻きと足くくりはアイロンがけまで終えていたので,早速いちばん時間のかかるサラシを巻く。これも前日に一度練習しておいたので,特に問題なくきれいに巻くことができた。ただ,小生の腰痛にどれほどの効き目があるのかが正直よくわからない。いつも腰に巻いている腰痛ベルトのほうがよいのか,一度検証しなければならないと思っている。
サラシを巻いた後は,浴衣を羽織り,同じく前日にアイロン掛けした帯を巻き,家内に頼んで浴衣の裾上げと帯止め,そして両肩の浴衣の肩止めを安全ピンと糸でしばってもらう。
ここまで終わったところで,ちょうどI君がサラシを巻いてくれと自宅を訪れたので,いったん小休止して,彼のサラシを巻き,鉢巻きと足くくりの説明をする。昨年は3人分のサラシを巻いたが,今年は1人なので,これはすぐに終わった。
それから,自転車に乗って神社へ太鼓と枕を台車に上げに行く。
神社はひっそりと静まり返っていたが,巡行列と巡幸列の太鼓を乗せ,棒洗いの時に自分たちできれいに巻いた枕を台車に乗せる。
作業が終わって,すぐに自宅へ取って返す。急いで朝食を済ませ,出発の支度をする。
体はどうしようもなく疲れているが,体調は悪くないようで,とりあえずホッとする。
団扇,笛,鉢巻きを身に着けて,忘れ物がないかチェックし,最後に足袋を履いて,脚絆を上から付け,最後に足くくりを付ける。
上中条1丁目自治会の休憩所に着いたのは,集合時刻ギリギリだったが,皆で記念写真を撮って出発した。今年は6年生が一人もおらず淋しいが,上一子ども会に6年生がいないということらしいので,5年生に頑張ってもらうしかあるまい。
人工台地には,既にかなりの人数が集まっていた。小生は太鼓の乗子を連れて,市民会館の1階ロビーに入る。ここは冷房が利いた快適な空間である。
乗子たちは法被の子どもたちと違って,厚手の浴衣や帯を巻き,化粧もしているため,特別待遇である。
ただ,このような特別待遇はここ数年のことではないかと思う。
というのも,小生の息子たちは2人とも乗子をさせてもらったが,人工台地で他の子どもたちと同じように炎天下で並んでいたように記憶しているので,間違いないと思う。
まあ,こういった対応も時代の流れだろう。

■ 宮入~出立ち~とり粂

巡行列の太鼓,女性神輿,一の輿,二の輿が出たところで,かなり間が空き,それからようやく三の輿が出てきたが,その後またずいぶんと間が空いて,女子中学生神輿の2車と新調された男子中学生神輿が出立ちした後,ようやく我々巡幸列の乗子たちが宮入バチの隊形で宮入していく。
本殿に上がり,巡幸列全員が揃ったところで,茨木神社の宮司さんによるお祓いが始まる。
小生は,巡幸列2年目であるが,茨木神社の夏祭りにおける2つの神輿部隊である巡行列と巡幸列は,全く異なる隊列である。
うまい言葉が見つからないが,敢えて言えば「動」と「静」と表現すれば良いだろうか。全く勝手な判断だが,「動」の巡行列と「静」の巡幸列という表現が合っているかもしれない。
巡幸列の神輿には茨木神社の氏神様が乗る。
そして,大神輿の前を行く枕太鼓は,常に大神輿を迎えるためのふれ太鼓である。
休憩所では,大神輿が到着するまで,乗子たちがお迎え太鼓をたたき続ける。そんな形ができあがっている。
お祓いが終わり,棒鼻が台車を玉垣の下まで運んでくると,いよいよ出立ちである。
まず1班の乗子たちが太鼓の台車に乗り,木方の「打ち込み用意」の掛け声に合わせ,太鼓をたたき出す。
ゆっくりと2度の「ヨイヤマッカッショー」の後,「祝いましょう」で台車が動き出す。
玉垣の下で担き手は肩を入れ,神輿の棒鼻さんたちにも手伝ってもらって,台車は玉垣を上がり,車道に出る。
ここで,お迎え太鼓が始まる。その間に,神輿は参道を1度半行き来してから玉垣を上がるのだが,玉垣を上がるタイミングを見計らって,駅前通りを台車と神輿が対になって進んでいく。
巡幸列は太鼓と神輿は一体ものなので,できるだけ離れず,かと言ってくっつぎ過ぎることなく,神輿の前を行く引き合いさんと合図を交わしながら,タイミングの難しい渡御である。
商店街に入ると,ギャラリーが一気に増えることから,ここぞとばかりに大きな声を出して太鼓は進む。何度か「祝いましょう」をしながら,最初の休憩所である片桐(とり粂)に到着。
乗子たちにしっかりと挨拶をさせてから休憩する。
特に去年は,何度か挨拶がないと叱られた苦い経験があるだけに,班長には口を酸っぱくして挨拶する意識を植え付けた。

■ とり粂~産経~本町

とり粂の出発は,大神輿が近づいてくるのを待って,それまでお迎え太鼓をすることとなっていたのであったが,引き合いさんが出発の合図を出したので,出発してしまった。ところが,後で聞くと,本来大神輿は,一度とり粂から「肩しょーかえ」で商店街に戻っていくそうで,太鼓がいなかったため,戻るのをやめたと聞いた。
そうとは知らず,勉強不足であった。
産経以降,大神輿と同じ休憩所で休憩する際には,必ず神輿の脚が入るまで太鼓はたたき続け,出発も早め早めにたたき始めた。「打ち込み用意」ですぐに「祝いましょう」で出発する場面もあり,去年の渡御に比べると,かなり大神輿を意識したものとなった。
商店街から本町へ行く時も,太鼓はしばらく止まって,大神輿が「肩しょーかえ」するまで待って,それから出発。本町の出発も,さわらぎ屋を出る大神輿からの合図があって出発した。

■ 本町~上中条2丁目~上中条1丁目

本町から上中条は,距離が長い割にはギャラリーが本当に少なく,盛り上がりという点では難しい区間である。「祝いましょう」の場所も少なく,太鼓も神輿も淡々と進むしかない。
上一の休憩所では,家内をはじめ数多くの近所の人たちがねぎらいの言葉をかけてくれたが,このような夏祭りへの参加も,果たしていつまで続くのであろうか。
毎年,今年で最後かもしれないと思う自分がいるのである。
ところで,上一の休憩所では,思わぬハプニングが起きた。それまで太鼓の棒鼻をやっていたSさんが熱中症で気分が悪くなり,渡御を続行することが不可能となったのである。小生も長く祭りに携わるが,棒鼻のリタイヤを見たのは初めてであった。
いったい,この先どうするのだろうかと思ったのだが,瞬時にNさんが代わりをYさんにやるよう指示を出し,何事もなかったかのように太鼓は出発することとなった。

■ 上中条1丁目~上泉町

上泉町では,小生がうっかりミスを犯し,健康面で乗子たちを危険な目に遭わせるところであった。というのは,休憩所に入りながら,乗子たちを先に休ませることを忘れてしまい,休憩所を過ぎて途中まで,太鼓の後ろをそのまま歩かせてしまったのである。
途中でようやくそれに気づいて,世話方さんに休憩所へ連れて行ってもらうことにしたのだが,木方2年目とあろうものが大失敗だった。だが,それだけにとどまらず,上泉町の休憩所では,昼食だというのに,しばらくの間乗子たちのそばに付くことを忘れており,責任者からどえらくお叱りを受けた。
こんなことをやっているようでは,全く木方失格である。
祭り当日はやること,気遣いすることが多く,忙しいのは事実であるが,いろんなところに気をつけなければならないのが太鼓の木方の役目なのである。本当にしんどい役務だ。

■ 上泉町~永代町

上泉町を出た巡幸列は大住町から宮元町,竹橋町と進み,竹橋町では去年と同じように,「肩しょーかえ」で休憩所に入り,神輿の場所を空けるために,肩入れで台車を横移動させた。出発の時も,やはり担き手に肩を入れさせて,横に動かしてからの出発となった。
永代町は,阪急茨木市駅前のギャラリーが非常に多い場所であるが,今年は天候が悪くなってきたことから,屋根の下に太鼓を入れて,乗子たちにたたかせたため,烏帽子が屋根につっかえて,太鼓が打ちにくそうであった。
この頃から急激に天候が怪しくなり始め,空は暗くなって雨も降り出し,雷までゴロゴロと鳴り出したので,休憩所でしばらくの間様子を見ることになった。
結局,1時間半ぐらい待機しただろうか。最後は,責任者と木方が集まり,多少の雨はあるだろうが,渡御を続けることとなったが,既にこの時点で2時間近く予定より遅れるという,前代未聞の夏祭りとなっていた。

■ 永代町~主原町~新庄町

途中で何度か雨が来たので,乗子にはカッパを着せたり脱がせたりしながら,とりあえず新庄町まで渡御を進めたが,ここでは2時間も足止めされていた巡行列の部隊がまだ休憩しており,茨木高校の中はすべての神輿が揃う,これまで例のない状況となった。
ここでまた,責任者が集まって,大幅に遅れてはいるものの,予定どおりのコースで,予定どおりの渡御をして,宮入することが決定された。
ただし,その判断が本当に正しかったのかどうか。結果論から言えば,全員が深夜までかかって宮入できたのであるが,あくまでもいろんな代償を払っての結果ではなかっただろうかと思っている。

■ 新庄町~宮入まで

長い時間休憩した後,改めて渡御がスタートすることになったが,カッパを着ていた乗子と違って,走りの子どもたちは既にずぶ濡れ状態になっていたため,寒いと言い出す子が何人もいた。
急遽神社から着替えの法被を取り寄せたものの,本来乗子だけでなく,同じ子ども部隊である走りの子どもたちに対するフォローが何らか必要なのではないだろうか。行き当たりばったりではなく,率直にそう感じた。
そして,時間が相当遅れていたことから,その後の各休憩所では,一つとして休憩時間がまともにとってもらえず,子どもたちはトイレを含め,飲み食いさえもまともにできなかった。
乗子や走りには女の子も多いので,せめて休憩所ではもう少し時間をとってやるべきだと思う。せっかく楽しみにしていた小川町のおでんなど,せめてもう少し時間を与えて食べさせてやれなかったのだろうか。
本当に,果たしてここまで犠牲を払って通常の渡御のコースで宮入することが必要だったのだろうか。今回の判断には大いに疑問を持つこととなった。
休憩所では,お世話になった方たちに対しても,飲み食いもせずに出発して本当に失礼ではなかったかと悔いが残った。
いずれにしても,神社に戻ってきての宮入時刻は午後10時をとっくに回っていた。
神社の参道は既に相当に人が少なくなっており,例年に比べれば,安心して参道を渡御できる状況ではあったが,夜も更けて遅い時間帯だったことから,太鼓は裏木方である小生の判断で,参道では3度半の渡御に止めて,少しでも乗子の子どもたちの負担を軽くしたつもりだ。できれば,例年のように7度半の往復をしたかったところだが,3度半は正しい判断だったと思っている。

■ 上一自治会の打ち上げ

去年までは打ち上げなど一切なかったが,今年は初めて上中条1丁目自治会として,夏祭りの打ち上げが行われた。
ただ,それでなくとも午後9時以降の遅い時間帯になるところが,今年に限っては宮入時刻が11時前になったことから,打ち上げの場所に到着したのが深夜11時半を回ろうとする時刻だった。上一の役員さんは,さぞヤキモキしていたことだろうと考えると,たいへん申し訳ない気がした。
夜も更けていたことから,打ち上げは1時間弱という短い時間ではあったが,自治会役員さんたちの温かい気持ちに感謝である。
その後,衣装を着替えて,奉仕者だけで二次会へと繰り出し,帰宅したのは真夜中の2時半になっていた。
とにもかくにも,太鼓の木方として3年目の本当に長い長い夏祭りの一日がようやく終わった。

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